記憶の中の深い傷は癒し続けていく。
ココロの話 | 22.03.12
昨日もとても暖かい日でした。
待ちに待った春♪大好きな季節なので、それだけで嬉しくなります^^
早咲の桜も、そろそろなので、近いうちに様子を見に行ってきます。
子供の頃の、辛かった記憶というのは、大人になっても影響することが多いなと感じます。
親の何気ない小さな一言が、私の深いところにもあって、それが自分の自信のなさや存在意義を分からなくして。
だから、親に嫌われないために一生懸命、親の思い通りの子供になろうとして頑張って生きてきました。
なんとも健気です。
そこに、例えば言葉の暴力や、怒声、粗暴な振る舞いなど、子供心に恐いと感じた記憶は、大人になっても簡単には拭えないかもしれません。
大人になってみれば、親の立場が理解でき、親だって生きるのが大変だったんだ。とわかって、赦すことができると楽になれる場合もあるのですが、それでも傷は残っている場合があります。
はっきりと自覚できるならなおさら。
辛い記憶があった時代の、小さな自分を、大人になった自分が優しく抱きしめ
「よく頑張ってきたよ」「偉かったね」「もう大丈夫だからね」
そう声をかけ続けてあげてほしいのです。
自分の傷を本当の意味で癒せるのは、自分しかいません。
自分を幸せにできるのも、自分しかいません。
薄皮を剥ぐように、少しずつ少しずつ、苦しみや痛みが抜けていき、楽になっていくことでしょう。
そして、大人になっても、うまく関係性が築けない、自分に自信が持てない、そんな自分をそのまま丸ごと受け入れていきましょう。
すぐに自分のことが好きにはなれなくても、せめて自分くらいは自分の理解者になり、味方になってあげてほしい。
そうすることで、安心感が湧いてきて、明るさを取り戻し、少しずつ本来の姿に戻っていかれます。
するとね。
他人の目なんか、どうでも良くなるし、誰に何を言われていても気にならなくなる。
だって、私はその人じゃないから、その人の中で何が起こっているのか100%理解するなんて不可能だからです。
同じように、自分のことを100%理解してもらうことも不可能なのだから、自分に嘘をつかないで、誠心誠意、愛を持って生きていけば、必ずそれは循環となって還って来ます。
これは宇宙の法則。
その苦しんだ経験は、きっと未来の誰かのために役立つ日がきますから。
不器用ながら、一生懸命今日まで生きてきた自分を、しっかり褒めて褒めて励ましていきましょ^^
「ありがとう。今日もよくがんばって生きたね」