「観念を書き変えたい」と言う欲望。
つぶやき | 22.03.16
花が咲き始めると、俄然元気が出て、休みの日もじっとしていられませんw
昨日は、恵方参りを済ませたあと、吉方位にある松尾大社さんと梅宮大社さんに行ってきました。
最近も、相変わらず精神世界の探求に余念がなく、ZENサンガと言うオンラインサロンで、浴びるように話を聞いています。
私のテーマ「どうやったら、もっと楽に安心して生きられるのか」
きっと、何かが欲しいのではなく、人は安心して生きるために何かを手に入れようとする。
それは、お金だし人間関係だし、健康だし(人の悩み事は、大体、この3つに絞られるらしいです)
逆に、何がなくても安心していられる観念が出来たら、もう何かを追い求めることもなくなるだろうな。と言う、予感めいたものがあります。
と言うか・・2、3年前、ほんの一瞬だったのですが『至福』の感覚を味わったことがあって、その時に「あの感覚が続いたら、外側に何かを求めることは無くなるだろうな…」と思ったことがあり、そこから、ますます「いのち」の仕組みに興味が湧きました。
頭では、なんとなく理解はできても、現実は日々目の前にあるわけで、すぐに埋没してしまうし、感情も揺れます。
もし、『それ』がわかったとしても、現実の生活はもちろん続いていくわけなので、感情だってずっと安定するわけではないのでしょうが、きっとどこかで安心しきっていながら、右往左往するんだろう。それはきっと今のような深刻さはなく「どうせなるようにしかならない」と言う、大いなる開き直りの元に経験があるんだろうなぁ・・と、半ば憧れのような気持ちで探究が続いていきます。
ま。それ自体も楽しいから続いているわけで、これも、自分が起こしているわけでなく、湧いているんだろうと・・そこまでは何となく理解できました。
だってね。怒りたくて怒っていないし、悩みたくて悩んでいないし、病気になりたくて病気になった人はいないし。自分ではどうしようもないですよね。なんかね。
興味のない方には、全くもって意味のない投稿となりますが、なんとなく湧いてきたのでこのままアップしてみます^^
19日から始まる新たな学びは、実践と共に、この世界の探求にも役立ちそうなので、とても楽しみです。こんなにワクワクするのは久しぶりだ(*´˘`*)♡