嫌われることを恐れない。
ココロの話 | 23.05.03
いいお天気のGWになりましたね。
新緑が綺麗で、空気が澄んでいて・・
ちょっと時間が出来たら、哲学の道あたり歩いてみたいなぁ〜
↓ こちらは去年の写真。緑に感動した♡
先日も個人セッションをさせていただいて
「嫌われるのが怖くて、自分の気持ちが言えない」というテーマがありました。
私も以前は「人にどう思われるか」を、とても気にしながら生きていたので、その気持ちはよくよく理解できます。
私たち日本人は「和」の文化をとても大切に扱います。
大昔の村文化なら、近所から嫌われたら「村八分」となり、それこそ命に関わる危機があったわけです。
私たちのDNAには、その情報が含まれているので、いくら「風の時代」「個の時代」と言われようが、人から嫌われること、輪から外れることをとても恐れます。
それは、決してあなたのせいじゃない。
でもその性質にもメリットはあって「人を思いやる力」「みんな仲良く」の精神は、そんな和を大切にする文化から生まれたものだと思うのですね。
地域の中で、ママ友の中で、会社の中で、趣味のサークルで・・
自分を犠牲にする必要はないけれども、”与える精神”で、氣を合わせてあげることで、その場がうまくいくなら、ある程度の合わせる能力も必要かも。
でも、大切な1人の存在になると、特に恋愛の始まりは、嫌われたくない気持ちはより強くなるもので、ついつい言いたい言葉を飲み込んでしまう。
それが結局はストレスとなり、我慢の限界を超えて、やがてその関係性さえ壊してしまう・・・のは、私の常でしたが何か?←w
パートナーシップはまだまだ私の課題でありますが、それでもやっぱり一番大切にしたい関係だからこそ、ちゃんと伝える努力は必要なのかと思うのです。
ご縁があれば、きっと理解し合い、赦し合うことができるでしょうし、その結果、合わないということがわかるのかもしれません。
誰からも嫌われたくなければ、嫌いな人にも合わせる必要があるし
好きな人だけが周りにいてくれればいいと思えるなら、無理して合わせる必要なし。
私は自分の個性を数秘術や統計心理学で知って、他人に理解を求めることをやめました。
そしたら、嫌われることも怖くなくなり、多くの友達を求めることもなくなり、今、私のそばにいてくれる人たちは、ちょうど程よい距離感でお付き合いしてくれる人だけになりました。
楽です。ありがたい。
どちらが楽かは、これも人の特性によって違うのです。
少々自分を抑えてでも、たくさんの人と繋がっていたい人は、そうすればいいし
1人の時間を愉しめる人は、そう多くの関係性を持つことを望まなければいいし。
それも、人によって、持っている資質も、気質も、性格も、思考も感情も・・何もかもが全然違うので「自分はこうしよう」と決めればいいだけなんですね。