問題の「捉え方」によって全ては変わる。
ココロの話 | 22.01.16
今年の100日恵方参りも、毎日というわけにはいきませんが進んでいます。
今年は宇治にある縣神社さん。御祭神はコノハナサクヤヒメ様。
良縁・恋愛の神様だそうです^^♡
恵方参りのコツは、願い事は100日の間、一つに絞ること。
昨年後半に、やっと絞れて、その願いを継続中です。


梅の花も咲き始めましたね。境内には大きな桜の木もあるので、今年もお花見を愉しめそうです。

さて。
生きていますと、目の前に大変な問題って起こってきます。
その時は、もう神さまにも見放されたんじゃないかと思ってしまうほど、一世一代の大ピンチ!と受け止めて、私なんか、今でもすぐに深刻になっちゃうんですけど。
でも、その多くは一過性のものであって、1年くらい経つと、そのほとんどは何を悩んでいたか忘れてしまうことが多い。解決したかどうかさえもわからないこともある。
その問題が、自分をしなやかな強さを与えてくれることとなり、大切な経験となり、やがては、それがあったからこそ、次の扉が開き、新しい世界がやってくる。
問題って、その時はわからないけれど、必ず未来に役立つ経験になっています。これは本当。
ただ、後にならないとわからないので、それまでは「なんで?どうして?」ってなっちゃいがちですけどね。
ほんの少し、その問題と距離をとって、客観的に自分を観る。問題を観る。そして事実だけを見る。
何かできることはあるか?
あればやってみればよし。
自分の力が及ばないなら天に投げてしまう。
逃げるもよし。戦うもよし。休むもよし。
その時の自分が一番良いと思う選択をするだけです。

今すぐに、それは解決できなかったとしても、時間は只々進んでいくし、そのスピードたるや、年々早くなっていき、もう気づいたら年明けから2ヶ月半が過ぎました。
最近、本当に思います。
今ある問題が、解決できてもできなくても、こんなに猛スピードで時間が経過していく中、去年、何を悩んでいたのか忘れているくらいなんだから、しんどいことにフォーカスする時間を出来るだけ減らして、「楽しいこと」にフォーカスしながら、やりたいことは全部やっていかないとなーと。
そう思うと、色んなこだわりから解放される50代って最高に楽しいし、60代は、さらに自由になっていそうで楽しみです。
人生のゴールに近づいて行く感じがあって、これからの時間をどう使えば自分は納得するだろうと。
今年は「頂上運」という良い年となる、あたくし八白土星。パーソナルイヤーナンバーも「1」で始まり。
ほんと、色々新しいことが始まっているのです。
不思議ですよね。。そういう風に、流れていくんですもの。
自分の意思とは、別の何かが働いているとしか思えません。
そう思えば、結局は、流れに任せるしかないわけで、問題が起こったら、その時の自分が、ちゃんと何とかするんでしょう。きっと。
と、お気楽に構える生き方にシフトしていきたい今日この頃なのです。
問題は「どう捉えるか」で全ては変わってきますので、少しずつ、少しずつ深刻さから解放する練習を、していければな。と^^